Feb 21, 2011

リフォーム中に、理事後部屋を貸す会社がある

家のリフォームを検討する際にも、リフォームの間のどこかに移転する場合が多いと思う。地域に応じて、報酬金などの制度との考えが違うようだが、リフォームに資金がかかり、これに往復移動代金や家屋や部屋を賃借することは、相当な負担になるに違いない。しかし、この場合、、リフォームの部屋を貸す企業望んでいるので、参照したり、条件を問い合わせたりしてもいいと思う。
水周りの痛みが早いので、リフォームが気になりますね。キッチン、バスルーム、トイレやお風呂をリフォームして快適な状態に整えるといいですよね。水周りは交換をした方がよいことが多く、昔と比較すると性能が良くなっていることも多いですよね。トイレ本体も変えてしまったのが、エコ正常快適たりもします。
 東日本大震災で地盤沈下した宮城県石巻市渡波地区などの沿岸部で、潮位変化による浸水に住民が頭を抱えている。干満の潮位差が大きい大潮になると、住宅街一帯が海に漬かり、避難経路も閉ざされる。住民は危険を承知しながらも移住を決めかね、「水上生活」を続けている。

 大潮と満潮が重なった4日午後5時すぎ。石巻市渡波梨木畑地区が静かに水没し始めた。牡鹿半島の付け根にあり、南西部が石巻湾に通じる「万石浦」南岸に位置する。
 住民は76世帯、約200人。行政区長の及川喜一さん(78)は「潮位の上昇を促す低気圧や台風の方が津波より来る確率が高くて怖い」と話す。
 目立つ被害は地盤沈下だ。最大で78センチ沈んだ。1日2回の満潮で約30世帯が計4時間近く床下浸水する。道路も冠水し、避難できない。水が引くと、住民は庭先に残るがれきの撤去に追われる。
 もともと地面が低く、数年に1度、大潮と台風が重なった日に床下浸水に見舞われた。震災後は大潮の期間は晴れていても毎日浸水する。及川さんは「住民は釣具店でもらった潮位表を見て外出時間を決めている」と語る。
 宮城県は万石浦周辺の県道への海水流入を防ぐため、土のうを積み上げる対策を取った。だが、地盤沈下した地区は広範囲に及び、住宅地の対策に手が回らないという。
 県東部土木事務所は「すぐに避難できない住宅に住むのは危険。当分の間は避難所で生活し、安全を確保してほしい」と呼び掛ける。
 梨木畑地区の住民は地区の集会所に1カ月以上避難したが、避難所生活疲れもあり、自宅に戻った。
 会社員鈴木春男さん(52)は「全壊や流失ならあきらめもつくが、基礎部分以外はほぼ無傷の家を出る気にはなれない。国や県、市に復興の方向性を早く示してもらいたい」と述べている。
(武田俊郎)

 宮城陸上競技協会の今季初の記録会が7日、仙台市の同市陸上競技場であった。東日本大震災のため、同陸協は4月に予定していた大会や記録会を全て中止。5月に入り、ようやくシーズン幕開けとなった。
 中学生から一般までの約700人が出場。200メートル、400メートル障害、400メートルリレー、三段跳び、ハンマー投げなど、男女別の8種目で競った。選手は、久しぶりとなる競技会の雰囲気を味わいながら、練習の成果を発揮した。
 被災した石巻市の選手もエントリー。自宅を津波に流され、避難所での生活を経験した石巻好文館高3年の平塚祐介主将(17)は、男子200メートルに出場した。4月中は満足に練習できなかったというが、「多くの人に支えられ、走る喜びを感じた。震災を経験し、気持ちの強さは誰にも負けない」と力強く話した。

 東日本大震災の影響で2010―11年シーズンの活動を休止した男子プロバスケットボール、bjリーグ仙台の元ヘッドコーチ(HC)、浜口炎氏(41)が河北新報社の取材に応じ、「リーグ制覇に向けて好調だっただけに、非常に残念」と振り返った。被災地への思いや自身の今後についても語った。
 ―震災発生後、どういう活動をしてきたのか。
 「(3月12日からの)新潟戦に向かうため、東北道を移動中に地震に遭った。新潟に着いた後、試合が中止になり、新潟に残る班と家族がいる仙台に戻る班に分かれた。私は仙台に戻り、選手らと宮城県消防学校(仙台市)などでボランティアをしていた」
 ―それまで36試合を消化し、24勝12敗で東地区2位と好調だった。
 「ハードワーカーが多く、練習も激しかった。ベル、ホプソンの活躍が大きく、李恵天、薦田拓也の新メンバーで底上げができた。6年間で一番手応えがあっただけに(シーズンが)こういう形で突然終わってしまい、本当に残念だ」
 ―被災地でのボランティア活動も行ってきた。
 「4月26日に女川一中(宮城県女川町)を訪問し、全国の友人や恩師から寄付を募って集めたシューズやボールなどを寄贈したが、被害の状況は衝撃的。言葉にならなかった。生徒たちは部活が生きがいで、『体を動かしたい』と言っていた」
 ―来季に向けては?
 「(経営危機で)3月15日に契約解除になった後、『失礼な(条件での)オファーしかできない。会社が自主再建できたとしても契約はしない。ほかを探してください』と言われた。来季の契約はないと理解している。でも、こういう時だからこそ、仙台でコーチを続けたかったという思いはある。どんな提示でもオファーしてほしかった」
 「今は数チームから誘いがあり、決まれば5月中には仙台を離れる。ただ、チームが新潟で解散して以来、全員で一度も会えずに終わった。ブースターへのあいさつもできていない。とても心残りだ」
 ―仙台ブースターの存在は。
 「試合に負けても、この6年間いつも温かい声援をくれた。チームを後押ししようという雰囲気は、リーグで断トツだと思う。とても感謝しているし、励まされ、助けられた」

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