Mar 29, 2009
良いビジネスホテルの条件に含まれているベッド
私の"良いビジネスホテルの条件"ですが、その中にベッド関連の条件"ベッドに横にしたまま、空調や照明の操作がある"とし、"ベッドの上で無理せずに寝ながらTVが見える"ということがあります。ホテルのベッドは良いビジネスホテルの大きな割合を占めています。しかし、大きく広々としたベッドではなくても良いです。ソファーは革がいいのか、それともオプホルストドゥイいいかな。一般的に言えば、革のソファより長くならないようだ。オプホルストドゥヌンデザインや色によるだろうが、汚れが目立つ。カバーを取り外して洗濯可能であれば良いが、これもあるソファーとすることができないソファがあり、たとえできても、洗濯するために分離、再付ける作業もかなり大変だろう。
千葉景子元法相は23日、東京大学で家族法改正をテーマに講演し、選択的夫婦別姓などを含む民法改正などで家族のきずなが弱まるという意見に対し「同姓の現状でも離婚が増えている。神話論争をやっているようなもの」と主張した。
家族の在り方が大きく変化する中、家族法改正を考える一助にしようと、同大学の学生団体が講演会を主催。千葉さんも招かれた。
千葉さんは選択的夫婦別姓を含む民法改正を「大きな一つのライフワーク」と説明。議員立法を提出しても廃案になるなどの民主党参院議員時代の活動を例に、「社会に多様な意見があるように政党も一つの価値観でまとまっていない。大きなコンセンサスをどうつくるかが重要」と課題を指摘した。
また法相時代を振り返り、「曲がり角に来ている法律を使い勝手のいい方向にしたかった。1年弱務めたが仕上げるところに至らなかった」とも。旧姓で社会活動する女性の負担が解消されない一方、賛否が対立したまま議論が行われない現状への歯がゆさものぞかせた。
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【統営4日聯合ニュース】旧日本軍の元慰安婦、イ・ギソンさんが3日午前11時半ごろ持病のため病院で死去した。享年87歳。
「日本軍『慰安婦』おばあさんとともにする統営・巨済市民の会」によると、イさんは先月20日ごろ心臓まひを起こし入院し、闘病生活を送っていた。
1923年に慶尚南道・統営で生まれたイさんは、1939年に中国へ連行され慰安婦として暮らし、第二次世界大戦終戦(植民地支配からの解放)直後に統営に戻った。1993年に慰安婦被害者の申告を行い、地元を中心に慰安婦問題の解決を訴えてきた。
政府に登録した元慰安婦の生存者は、現在78人となっている。
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【石垣】もう一つの沖縄戦と言われる「戦争マラリア」の実相を後世に正しく伝えるために1999年に設立された八重山平和祈念館をめぐって、遺族会と館を管理・運営する県側との認識のずれが表面化している。今月下旬の遺族会役員会には通事安憲館長兼県八重山事務所総務課長も出席。館の所有や資料の保管などをめぐって、双方の主張が食い違った。
両者の溝が表面化したのは、ことし8月、八重山戦争マラリア遺族会篠原武夫会長が本紙に、同館の管理運営を批判する文章を投稿したことがきっかけ。同館の通事館長は「虚偽的な内容」として抗議していた。
同館の所有についても認識が食い違う。同館は遺族らがさまざまな資料を掘り起こして国に補償を求めた結果、マラリア慰藉(いしゃ)事業費として3億円が認められ、そのうちの1億5千万円を使って建てられた。篠原会長は「館はわれわれの涙ぐましい運動によって建てられた。遺族のものだ」と強調する。一方、通事館長は「県が事業主体となって建てたもので、登記上でも県のもの」と遺族会の主張を退ける。
また、国家補償を求めた際に集めた資料が同館内にあるが、篠原会長は「戦争マラリア問題を解決した極めて重要な資料を収めたのに、県は資料を整理することもなく、保管もずさん」と批判。だが、県側は取材に「資料には篠原会長の名前が書いてあり、個人の所有物という認識だった。勝手に整理することはできない」と突っぱねる。
認識のずれは、コミュニケーション不足からきている部分もある。役員会では、遺族の一人が「このままではいけない。共通の理解を持って活動しなければ」と呼び掛けた。
【南風原】沖縄戦を含む15年戦争で犠牲になった南風原村(当時)出身者4481人を刻銘する「南風原町平和の礎」が南風原町兼城に建立され、22日に除幕式が開かれた。同町遺族会の関係者や国吉真章副町長、中村勝議長らが参列。礎に刻まれた氏名を見ながら、犠牲になった住民に思いをはせ、平和の尊さをかみしめ、反戦平和を誓った。
南風原町平和の礎は同町が建設を進め、ことし9月に着工した。総事業費は約1800万円。高さ150センチ、幅155センチの黒御影石25枚に字別に氏名を刻銘している。22日は道路の拡幅工事に伴って移転新築した南風原村の犠牲者を追悼する「慰霊祈和の塔」の前で、慰霊祭も開催した。
南風原町は沖縄戦中、首里の第32軍司令部へ物資を補給する後方基地と位置付けられ、軍と住民が共に行動したため被害が拡大した。
同町遺族連合会の玉那覇有賢会長は「過ぎ去った(戦後の)65年は遺族にとって短く、犠牲者の在りし日の姿がまぶたに浮かぶ。み霊の冥福を祈り、戦争の惨事が繰り返されないよう努力していきたい」と力を込めた。
城間俊安町長(国吉副町長代読)は「南風原町は激戦地で多くの住民が命を失った。肉親を失った遺族の深い苦労を思い、町から平和を願う心を発信し海外の人々と友好を深めながらまちづくりを進めたい」と語った。
字神里の欄に親類の名前を見つけた照屋静江さん=同町神里=は「一人一人の名前が持つ重さを感じる」と話していた。
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